精神疾患を乗り越えた一級建築士の雑記

資格やボードゲームについても語るよ

嫌いだったはずの英語の勉強が楽しくなってきた

英語が嫌いで嫌いで、とにかく避け続けてきたのに、急に思い立って勉強を始めて2週間。何故かとてもたのしくなってきたので、いろいろな経緯を書きます。

「英語なんてしゃべれなくても翻訳機ががんばってくれるでしょ」精神で、中学生の時から避けてきました。数学と理科が好きで、国語と英語が嫌いだから理系になったくらいです。

 

それが、なぜ急に勉強しようと思ったのか。2つの理由があります。

まず1つ目は、適応障害からほぼほぼ立ち直り、でも復職できないから(前回の記事をご参照ください)、何かをやりたくて、何かを勉強したくて、候補に上がったのが英語とプログラミングでした。

2つ目は、最近お世話になっている建築家の夫婦が、おふたりとも英語ぺらぺらなのです。奥さんは8年間スイスで仕事。旦那さんは、世界的に有名な建築家の事務所で働いているため、英語が必須。そんなお二人を見てるうちに、「いつが自分が独立したいと思ったとしたら、英語できないのはやばそう。最低限でも話せるようになりたい」と感じたことです。

そこで、とりあえず英語をやってみよう、と思ったのです。

 

まず読んだのはこのサイトです。

app-flamingo.com

 この記事の最初のステップに、自分の英語力を確認するために、「NHK英語力測定テスト」がおすすめされていたので、早速受けてみました。基礎編を。

eigoryoku.nhk-book.co.jp

結果はA2レベル。大体中学3年生レベルです。リスニングは完璧だったのに、文法がぼろぼろでした。さすがにひどい。笑

A2レベルにおすすめされたNHKラジオ教材は、「基礎英語3」、「英会話タイムトライアル」、「エンジョイ・シンプル・イングリッシュ」でした。

英語の教材は、本屋さんに行けばたくさんあるけれど、自分のレベルに合っているものを見つけるのはなかなか大変です。そこで一先ず、NHKの「基礎英語3」をやってみることにしました。

 

基礎英語3をやろうと決めた日は4月18日。4月の放送は4分の3終わっていました。でも思い立った日から始めることが私のポリシーだったので、その日のうちに教材の4月号を購入し、YouTubeで過去の放送分を探し、やりはじめました。3日坊主にならないように、1日1レッスン(15分)までしかやらないと決めました。

それから1週間、毎日続けられました。そしてなんと、とても楽しいのです。1日15分じゃ足りない!と思うようになりました。NHKの放送内容を復習するための教材が欲しいとも思いました。

そして調べに調べた結果、私が買ったのはこちら。 

マーフィーのケンブリッジ英文法(初級編)第3版 (Basic Grammar in Use)

マーフィーのケンブリッジ英文法(初級編)第3版 (Basic Grammar in Use)

  • 作者: Raymond Murphy,William R. Smalzer (執筆協力),渡辺雅仁(翻訳),田島祐規子(翻訳),William R. Smalzer (執筆協力);渡辺雅仁(翻訳);田島祐規子(翻訳)
  • 出版社/メーカー: Cambridge University Press
  • 発売日: 2016/10/01
  • メディア: ペーパーバック
  • この商品を含むブログを見る
 

 最近話題の「English Grammar in Use」の日本語訳版です。English Grammar in Useは全て英語ですが、こちらは、説明文が日本語なので、とっつきやすかったのです。なによりBOOK OFFで売っていたので、買うっきゃないと思いまして…

そうして、基礎英語3で出てきた文法をこの教材で勉強し始めました。

 

次に思ったこと。「英語を聞く機会を増やしたい!!!」です。何か英会話を割と簡単にやれる方法はないのかしら…と思って検索。検索結果の一番上に出てきたのは、CMでもお馴染みの「スタディサプリENGLISH」。いろいろ口コミを見てみた結果、なかなか評判がよさそうなので、「日常英会話コース」に登録してみました。

eigosapuri.jp

通常月額980円ですが、6月14日までに年間登録をすると、年会費が最大で2,640円お得になるキャンペーンをやっているようです。(私は続くかわからなかったので、月額で登録してしまいましたが…)

そして試し始めて5日が経過しました。スタサプ、楽しい!一番簡単なレベルから初めているのですが、ストーリーもなかなか面白く、しかも1つのレッスンが10分ほどで終わるので、続けやすいのです。電車の中などでは、ストーリーを聞き流すこともできるので、意味のわかる英語を聞き続けることができます。

英語は一般的に3ヶ月以上続けないと効果が現れないと言われていますが、これなら続けられそう!と思いました。

 

「基礎英語3」と「マーフィーのケンブリッジ英文法」で英文法を勉強しつつ、「スタディサプリENGLISH」でリスニングとスピーキングの練習をする。この3本立てが、英語が嫌いなわたしでも続けていけそうだと感じました。

以前読んだ本に、「英語のテキストは1冊に決めたら、それを信じてやり続けることが大切だ」と書いてありました。ので、信じて続けてみます!!

復職したいのに、なかなか会社に戻れない

仕事を休み始めて3ヶ月半が経ちました。休む前の自分を思い出すと、信じられないくらい、元気になったと感じています。

休み始めてから何度も、「前よりだいぶ元気になった!!」と感じていましたが、時間が経ってみると、「あの頃は元気だと感じていたけれど、今と比べると全然だなあ。休む前はよっぽど病んでいたんだなあ」と感じます。休み始めた当初は、まさか自分がこんなに長く休むほど病んでいるなんて気づいていませんでした。今ではあの頃の自分をとても可哀想に感じるほど、客観的に見られるようになりました。やはり、間違いなく上司が悪かったと、心から感じています。病んでいた頃は、上司に洗脳されて、「自分が悪い」と思い込んでいましたが…

 

時間が経って、今は「早く仕事がしたい!」と思えるようになりました。いつでも復職できるように、朝の満員電車に乗る練習もしています。また、何かをやりたくて仕方がなくて、なんとなく始めた英会話の勉強が、楽しくて仕方なくなっています。英語なんて嫌いだったのに。

診療内科のお医者さんはには、復職の診断書を書いてもらいました。が、なかなか復職させてもらえません。会社のカウンセラーの許可が出ないのです。

 

弊社は、いわゆる大企業であり、精神疾患に対して手厚い対応をしてくれます。休職していても、会社からは給料の7割、共済会から3割出してくれるので、生活には困っていません。だから、まだまだ休むこともできます。

でも、わたしは働きたいのです!!

 

毎週金曜日に会社のカウンセラーと面会しており、そのカウンセラーさん曰く、「朝8時半に出社して8時間働くことを、毎週5日間続けることが確実にできることが証明できないと、復職させられない」だそうです。それもあり、朝、満員電車に乗る練習をしているのです。

ゴールデンウィークが明けて2週間後くらいに、ようやく人事との面談ができるようです。その面談で行く部署が決まり、それから復職プログラムが始まります。カウンセラー曰く、復職プログラムには1ヶ月ほどかかるとのこと。手厚いですね。

こんな素晴らしい会社、なかなかないと思います。休ませてくれるのに、復職できないことが不満だなんて、とても贅沢な文句だと思います。

 

3ヶ月半経って、ようやく、暇をもてあそぶようになってきました。少し前までは、大好きなボードゲームを毎日何時間もやっていられましたが、それも少し飽き始めています。

決して、ボードゲームが楽しくなくなったわけではありません。単に、「仕事をした後、プライベートの時間にやるボードゲーム」の方が絶対に楽しい!と思うようになったのです。

カウンセラーも、そう暇をもてあそぶようにならないうちは、会社に戻らない方がいいよ、と言っていた意味を、今実感しています。1ヶ月前までは、「どれだけ経っても、暇をもてあそぶことなんてないと思う」と思っていましたが、その状態こそ、全快していない証拠だったのだと思います。

 

おそらく、復職まではあと1.5~2か月程かかると思います。この時間があるうちに、人との関わり方と自分の心のメンテナンスの仕方をしっかり学ぼうと思います。ついでに英語も。

あまり無理をしすぎないように、復職までの時間を有効に使おうと思っています。

 

 

一級建築士学科試験まであと4ヶ月!これから何をするか?

もう春ですし、学科試験の話でもしますね。わたしが受験したのは2年前なので、記憶が曖昧ですが、自分が何をしたかを書いていきます。

わたしは総合資格の2年コースに通っておりました。2年コースとは、受験資格が得られる2年前から、2年にわたって学科試験対策講座を受講し、学科に合格したら製図試験を移れる、というカリキュラムでした。2年間で120万円…。修士2年のわたし、よく躊躇せずに申し込んだな、と思います。

学科試験対策講座に2年間、一応ちゃんと通ったわけです。が、正直宿題は全然やってませんでした。入社1年目は建設現場の管理の仕事をしていたので、土曜日も隔週で出勤しておりました。そのため、仕事して帰るだけの毎日じゃ、宿題なんてできません。その代わり、授業だけはほぼ皆勤賞です。

そんな感じだったので、受験する年の4月の時点で、模試の点数は67点でした。焦りました。でも仕事は忙しい…。5月から部署を異動して時間ができたため、それから気合い入れて勉強しました。実質2ヶ月半。なぜか点数がどんどん上がりました。

 

4月:67点

5月:79点

6月:91点

7月:103点

学科試験本番:103点

 

きれいに12点ずつ上がっていったので、はっきり覚えています。なぜここまで急激に上がったか。これは、2年間学科講座をしっかり受講していたために基礎がある程度わかっていたからだと思います。

5月からやったことは、苦手だった法規と構造を中心に繰り返し演習。電車の中では、総合資格の教材「トレイントレーニング」を使用して計画と環境設備、施工の暗記を繰り返し。1問に30分かかったって、気合いで続けました。すると、あるとき突然、霧が晴れたように解るようになったのです。

法規は、6月の模試までは時間が足りずに全て解き終えられなかったのに、7月の模試では、15分も時間が余り、しかも28点もとることができました。

構造は最初、とにかく文章問題が苦手で、そもそも文章の意味が理解できず、テキトーに回答していた状態でした。ところがこれもだんだんと理解できるようになり、最終的には、計算問題よりも文章問題の方が得意になりました。

 

各科目の勉強方法

各科目の、くらりは流の勉強方法をまとめておきます。総合資格の教材名ばかり出てきますが…。

学科1(計画)

  • 基礎段階(4月まで)

学科講座を受けながら、モジュール寸法を頭に入れていく。身の回りの、たとえば自分の家の各所の寸法を計ると、急に覚えやすくなる。

  • 追い込み段階(5月~)

とにかく建築作品集の暗記。ときどきトレイントレーニング。電車内や昼休みなど、空き時間でしか勉強していなかった記憶。自分が訪れたことがある建物から覚えていくと、いつのまにかある程度の数を覚えていた。

 

学科2(環境・設備)

  • 基礎段階(4月まで)

学科講座を受けながら、自分が苦手なところと、あっさり覚えられるところを把握しておく。覚えられるところは今のうちに覚えておく。

  • 追い込み段階(5月~)

苦手なところを中心に、ひたすらトレイントレーニングの繰り返し。得意なところも忘れないように、しっかり解く。どんなに頑張っても覚えられないものは捨てる。が、空調設備などの仕組みは苦手だったけどなにが何でも覚えた。公式は、公式のままではなく、文章題の解説の文章で覚えた。

 

学科3(法規)

  • 基礎段階(4月まで)

学科講座を受けながら、とにかく線引き。赤鉛筆、青鉛筆、蛍光ペン6色をつかって、自分流の色分けをした。問題を読んだらすぐに回答を見て、法令集を引き、キーワードに印をつける。色鉛筆のため、線を何度も重ねていくと、よく出題される部分の色が濃くなっていく。1問に1時間かかっても、とにかく根気よく続ける。

  • 追い込み段階(5月~)

とにかく繰り返し問題を解き、線を引き続ける。たとえば「もしくは」や「かつ」、「いずれか」などの接続詞を目立つようにしたり、「建築主」なのか「建築主事」なのかなど、主語が目立つようにしたりしていくことで、該当ページを開くとこれらのキーワードが目に入る。主語を問われている場合は一瞬で答えがわかるし、しっかり読まなければならない場合も、接続詞を先に見ておけば読むのが早くなる。なにより、法令集は引けば引くほど早くなるため、毎日続けることが大切である。

 

学科4(構造)

  • 基礎段階(4月まで)

まずは計算問題を一通り解けるようになるまで繰り返し続ける。公式は、このときに出来る限りの覚えておく。

  • 追い込み段階(5月~)

ここからは文章題を中心に行う。まずは計算問題で使う公式が、文章題として出題されている過去問からはじめて、文章題に慣れる。その後、その関連問題から範囲を拡げていく。どんなに頑張っても覚えられないものは捨てる。

わたしが苦手だった範囲は、構造計算ルートと、風荷重の部分だ。構造計算のルート2とかルート3とかが覚えられない場合、まずどの構造形式がどのルート名になっているのかを覚える。その後、構造によって異なる部分を覚えれば、おのずと問題が解けるようになってくる。風荷重については、気合いで覚えたので、特に方法はありません…笑

 

学科5(施工)

  • 基礎段階(4月まで)

暗記を始める前にまず、各工事がどのような、ものなのかをイメージできるようになるために、現場の写真や動画を見る。近くにあるのなら、現場を覗いてみるのもいい。わたしは現場勤務だったため、過去問で出てきた部分を現場でチェック、なんてこともしてました。

  • 追い込み段階(5月~)

ひたすら暗記。語呂合わせでもなんでもいいから暗記。理屈を理解できるのならもちろんその方がいいが、数値ばっかりだから結局暗記になってしまうため、特にやり方も何もないです…笑

 

ところどころ書きましたが、どんなにやったって覚えられない部分は少なからずあるかと思います。そういったところを捨てる勇気を持ちましょう。120点満点をとる必要はないので、各科目、少しくらい捨てたって痛くも痒くもありません。それよりも、全体的に中途半端に覚えていることが致命的です。少しくらい捨ててでも、絶対に解ける問題を1問でも増やすことが大切なので、少し頑張れば解けるようになりそうなところを、何度も繰り返し練習しましょう。

また、わたしは総合資格に通っていましたが、もちろん、独学だってやることは同じはずです。まずは4月末までに、基礎を完璧にすることを目指して、頑張ってください。

 

平成31年度版 1級建築士試験学科厳選問題集500+125

平成31年度版 1級建築士試験学科厳選問題集500+125

 

 

ガイアプロジェクトで勝てるようになってきました

しばらくボードゲームについて書いていませんでしたが、やっていないわけではありません。むしろ、暇を見つけては(というかずっと暇)、ボードゲームばかりやっています。最近、テラミスティカ:ガイアプロジェクトばかりやっています。

テラミスティカ:ガイアプロジェクト 日本語版

どんなゲームかは、ボドゲーマのページを貼っておきます。

bodoge.hoobby.net

 

このゲームをやり始めて5回目くらいから、勝てるようになってきました。6回目に使用したマッドアンドロイド。この種族は特殊な能力を持っていてかなり扱いづらく、あまり良い評価がされていないようです。

blog.livedoor.jp

ところがマッドアンドロイドで圧勝できてしまったので記録してきます。盤面はこんな感じ。見にくいのでひとつひとつ説明してきますね。

今回は、やりたい種族を選んでからコンポーネントをセットしましたので、戦略をしっかりと考える必要がありました。

ゲームのマジョリティは、「衛星数」と「建物数」です。ラウンドボーナスは①同盟点、②ガイア、③交易所3点、④交易所3点、⑤首府・学院、⑥鉱山でした。

マッドアンドロイドはお金に困りそうな種族だったので、マジョリティを取るためにはガイアフォームをして広いエリアで、自分の星を使用した同盟を組むことが必要であると考えました。お金なくても鉱山ならたくさん建てられますしね!

1ラウンド

まずはマッドアンドロイドの「最も低い研究コマを1つ進める能力」を使用して鉱石を確保して、いきなり学院を建設し、QICコマを毎ラウンドもらえるようにしました。発展タイルは「4コイン収入」にし、ガイアフォームができるようにしました。お金に困りそうだったので、ラッキー!そしてもはやパワー上げは無視して、ひたすらガイアフォーム。

2ラウンド以降

ここから、ガイアをひたすら行っていきます。そのために発展タイル「ガイア3点」が欲しかったため、どうにか鉱石を確保し、3ラウンド目で研究所を建てました。ガイアにたくさん鉱山を建てて行くことで鉱石に困らなくなりますので、4ラウンド目で首府を建設。自分の星の首府と、学院でまず同盟を組みました。マッドアンドロイドは能力で発展ボードを進められますが、知識の収入量がかなり低くなります。そのため、交易所を増やして知識を確保すると共に、発展ボードの知識収入を早めに上げておき、毎ラウンド進められるようにしておきました。ガイアフォームと、発展ボードのQIC列をがしがし進めては同盟を組み、QICコマで点数を稼ぎ…を続けていきました。パワーコマはほぼ無視。笑

そんなこんなで、マジョリティ両方とも18点で、総得点150点でしたー!

翌日、地球人でも勝ちましたが、シンプルに強い地球人より、特殊な動きをする種族の方が好きだなーと思いました。

さて、また今からやってこよっと!

抗うつ薬を変更しました

ミルタザピンOD錠を飲み始めて、3週間が経過した頃、薬を変えました。

ミルタザピンのおかげで、精神的にはかなり元気になったと感じていましたが、2週間経過した頃から、イライラしやすくなってるな、と感じていました。例えば、友人と話しているときに、自分の意見をやたら強く主張したり、満員電車の乗客にイライラしたり…。怒ることにはとてもエネルギーが必要だから、イライラできる程の元気が出てきたのだろうな、くらいに思っておりました。

薬もなくなりかけていたので、掛かり付けの心療内科へ行き、そのことを伝えると、「元気が出てきたというのもあるかと思いますが、抗うつ剤なので、効きすぎるとイライラしやすくなることもあるんです。」とのこと。そして薬を変えることにしました。

次は、「オランザピンOD錠(1.25mg)」を半錠、毎晩寝る前に飲むことになりました。

ミルタザピンは、ただひたすら精神的に上げるだけの薬に対して、オランザピンは上げるけど、少し抑える効果もあるそうです。

 

そうしてオランザピンを飲み始めて1週間。この薬はおてもわたしに合っているようです。

ミルタザピンは、とにかく眠い、なんとなくだるい、少し熱っぽいなど体調に影響が出ていたし、やる気も出ず、家の掃除すらできない状態でした。

一方オランザピンは、多少眠いですか、それ以外の副作用は全く感じず、さらには家事をするやる気も出してくれました。急に部屋の模様替えをしたくなり、粗大ごみを出したり、メルカリに出品したりもできました。もうすっかり元のわたしだな!と思えています。(薬をやめたらどうなるかはわかりませんが…)

 

こうして比較してみると、最初からオランザピンでも良かったのではないかと思われるかと思います。でも精神的にかなり病んでいた当時のわたしにとって、ミルタザピンがなければここまで回復できなかったと感じています。ミルタザピンで元気になっていたからこそ、オランザピンがより効いたのだと思っています。

このままいけば、4月1日からの復職の診断書を書けますよ、とお医者さんも言ってくださいました。

 

ただ復職のためにはもうひとつハードルがあります。社内のカウンセラーの復職プログラムを受け、復職の許可をもらうことです。

復職プログラムは、その人によって内容は変わるそうですが、例えば、1週間、始業時間に会社に出社し、部長にあいさつだけして帰る、というプログラムを受けた人もいるそうです。

来週、カウンセラーと面談をする予定です。どんなプログラムになるのか、不安ながらも、少し楽しみでもあります。

会社を休みはじめて、1ヶ月が経過した

当初の予定では、ちょうど1ヶ月会社を休み、明日から会社に復帰する予定でした。

ところが前回、この記事を書いた数時間後から、症状が急変しました。その結果、休みの期間を1ヶ月半、つまり3月末まで延長することになりました。

kurariha.hatenablog.com

 

この記事を書いたときは、旅行から帰ってくる飛行機の中で、旅行でリフレッシュしたこともあり、少し前向きになっていました。

飛行機を降りた直後から、「休みがあと2週間しかない」「早く治さないと」「新しい部署ではどう見られるのか」など、だんだんとマイナス思考になり、休みはじめた頃同様に、涙が止まらなくなりました。さらに会社の先輩たちからの心配のLINEメッセージが、急かされているようにも感じました。

これは会社に戻れないなと思い、再度心療内科へかかりました。

 

医者「今までは様子を見ていましたが、3週間経っても良くなっていないので、薬を飲みましょうか。これから治療を始めますので、会社には3月末まで休むと伝えてください。」

薬を選ぶ際、「多少気分が悪くなるかもしれない薬A」と、「とても眠くなる薬B」の2種類の提案をもらいました。わたしはもともと吐き気が起こりやすい体質のため、薬Bにしてもらいました。どうせ休みだし、眠くても構わないとも思いました。

その結果、処方されたのは、「ミルタザピンOD錠」という薬で、4分の1錠を毎晩寝る前に飲むこととなりました。

 

薬を飲み始めて、翌朝から、効果と副作用を実感しました。夜0時頃に就寝したにも関わらず、10時まで目が覚めずにぐっすり眠り、さらに12時まで2度寝してしまうほどの眠気がありました。その一方で、目が覚めたあとはとてもすっきりとしており、なんだかとても前向きになっていました。

「そういえば、本当の私はいつもこんな感じのテンションだ!」と思うと同時に、ここしばらく、どれほど元気がなかったかということも実感しました。数日前に恋人より、「出会った1年前と比べると全然楽しそうじゃない」と言われた意味も理解しました。いつでも「人生楽しい!」と思って生きてきていたはずなのに、そういえば今は全てがどうでもよくなっていたのです。

 

薬を飲み始めて10日間。体調が悪いときもあるし、とても眠いし、やたら食欲があるし、体力がなくなっていることは感じていますが、着々と心が元気になっていることを感じています。4月から新しい部署に行くことを、楽しみにすら感じ始めています。

あと1ヶ月半の間に、薬を飲まなくても本来のわたしでいられるようになれるといいなと感じています。

わたしが会社を休むまでの流れ

自分の覚え書きとして記録しますが、どなたかの参考になれば嬉しいです。

わたしが休んだのは、上司(課長クラス)からのパワハラに耐えられなくなったことが理由です。半年ほど前から当たりが強くなり、日に日に上司に対して恐怖感を覚えるようになりました。そしてある日、心がポキッと折れました。詳しいことは以下をお読みいただければと思います。

大前提として、周りの先輩たちの理解があったことと、会社の対応が早かったことが幸いして、すぐ休むことができました。そのため、全ての人に当てはまることではないかと思いますので、ご了承ください。

 

1日目

この日は、上司とは、朝のあいさつ以外の会話をしていない。にも関わらず15時頃、急に思考が停止して、何も考えられなくなった。涙を我慢することができず、隣の部署の同期に助けを求めた。

少し離れた場所の会議室で、同期に泣きながらつらいことを伝えた。(この同期には、前日に愚痴を伝えていた)

翌日会社に来れる気がしなかったこともあり、同じ課の先輩(副課長クラス)に全てを話すことにした。この先輩は、以前から状況を知っており、明らかに上司の対応がパワハラであると言ってくれていた。そして、できる限りわたしと上司が接しなくて済むように、間に入ってくれていた。

そして、「特に何もされていないけれど限界がきた」ことを伝えると、すぐに理解してくれて、「ここまで思い詰めているとは思っていなかった、ごめん」と言ってくれた。

そして先輩は、「明日はとりあえず休みな、部長には俺から伝えておくから。」と言ってくれて、翌日は休むことにした。

この日は実家へ帰り、状況を伝えたら、「お母さんも、会社で合わない人がいて、ストレスでやめようとしたことあるから、わかるよ。でももう少し早く相談してほしかったな」と言ってくれた。身内に理解してもらえることが、こんなに嬉しいとは思わなかった。

 

2日目

朝、先輩から部長へ伝えてくれた。部長は今までの状況を知らなかったこともあり、「直接顔を見て話を聞きたいから明日会社に来てくれ」と言われた。

正直、会社に行って上司に会うことが本当に怖かったが、ここで部長に理解してもらえれば、しばらく休むことができるかもしれないと思い、了承した。結果的に、その上司が翌日会社にいないように、手配をしてくれていた。

大学時代の友人で、病気でしばらく会社を休んでいた人に、相談のために、簡単に状況を報告した。すると、「今から心療内科に行って、診断書もらってきな。医師の診断書には会社は勝てないから。」と。

そこで急遽、予約なしでも受診できる心療内科へ言った。優しい女医さんで、一通り話をすると、こちらから何も言わずとも、「診断書を書きましょうか。そしてとりあえず1ヶ月休んでみてください」と言ってくれた。わたしはまだ食欲もあり、プライベートを楽しむことはできたことから、適応障害と診断された。これが悪化すると、うつ病になるとのことだ。適応障害はストレス原因から離れればだんだんと改善するらしい。診断書と、不安なときに飲む薬を処方してもらい、帰った。

念のため部長に、心療内科へ行き適応障害の診断書をもらったことと、1ヶ月会社を休みたいことをメールで伝えておいた。

 

3日目

不安抑止の薬を飲み、午前中、会社へ向かった。薬の副作用のせいか、若干めまいがしたが、涙はあまり出なくなった。会社の入り口まで、わざわざ先輩が迎えにきてくれた。「上司は今日いないから大丈夫だよ」と言ってくれて、それだけでかなり心が軽くなった。

部長は優しい表情で迎えてくれて、わたしの話を静かに聞いてくれた。前日にメールをしておいたこともあり、すぐに、「しばらく休んで、他の部署にトレーニングとして行くことにしよう」という方向で話を進めてくれた。どこの部署に行きたいかも聞いてくれて、「○○(わたしの名字)には期待しているから、やめてしまうことが一番困る。旅行でもして気晴らししてきな。」とまで言ってくれた。部長の期待に応えたいと感じた。

その日の午後、部長の口から職場の長(所長)と人事や事務を取り仕切っている部長(事務長)へ伝えてくれた。

 

4日目

事務長から、顔を見て話をしたいため、会社に来てほしいとの連絡が来た。翌週、話をすることとなった。

 

8日目(営業日換算6日目)

この日も薬を飲んで、会社へ向かった。この日は会社に入り口まで、同期が迎えにきてくれた。みんな、本当に嬉しい。

事務長は、特に深く話は聞かずに、「部長は戻ってきてほしいって言っているかもしれないけど、そんなにプレッシャーに感じなくていいよ。このまま違う部署でずっと働くという選択肢もあるんだから。とりあえずゆっくり休みな。」と言い、欠勤の手続きを済ませてくれた。

これで正式に、1ヶ月休むことが決まった。

 

10日目(営業日換算8日目)

先輩以外の同じ課の人達には何も伝えないまま、わたしはずっと休んでいた。わたしが急に欠けたせいで迷惑をかけているから、わたしの口から説明したいと思い、みなさんと飲みに言った。

みなさんはなんとなく状況を理解しており、わたしが泣きながら話をしていたら、「そんなつらいこと、わざわざ思い出して話をしなくていいよ。直接話したいって思ってくれただけで十分。詳しい話は状況を知ってる人から聞けばいいから、今日は楽しく飲もう。」と言ってくれた。本当に優しい人達だと、涙がでた。

 

今思うこと

今思えば、本当に対応が早かったと思う。それは、心療内科の診断書を、2日目の段階でもらったからだと思う。もしこれがなかったら、ずる休みだと思う人もいただろう。

また、会社の人たちの対応で何より良かったことが、関わってくれた全員が、「この話をだれにしていいか」、をまず私に聞いてくれたことだ。手続き上話をしなきゃいけない人であっても、「○○さんに話してもいい?」と都度、確認してくれたことが安心した。

 

期限の1ヶ月まで、あと2週間。それまでに、この後どうするかを決めていかなければならない。心療内科の先生は、12日目頃のわたしの状況を見て、「部署が変われるなら、1ヶ月で復帰できそうだね。」と判断した。実際、いつ会社に復帰できるかは、異動先の部署の状況によるため、まだ何も決まっていない。

先は全く見えないが、上司の元から離れられることが、何よりも救われた。

 

部長が言ってくれたように、のびのび旅行をし、帰りの飛行機でこれを書いている。飛行機が進むにつれて現実が近づいているように感じて怖いが、3週間前の自分と比べると、圧倒的に前向きだ。

欠勤や休職の間も給料は出るようだが、早めに復帰したいと思っている。

直属の上司の運こそ無かったが、良い会社に就職したな、と思った。

 

 

kurariha.hatenablog.com