精神疾患を乗り越えた一級建築士の雑記

資格やボードゲームについても語るよ

1年前、適応障害だった自分を振り返ってみる

とても久しぶりの更新になってしまいました。

コロナウイルス感染拡大防止のための外出自粛で、家に閉じこもる日々。テレワークでフルタイム働いているとはいえ、自由な時間が圧倒的に増えました。

実情は、NintendoSwitchのあつまれどうぶつの森をやり続ける日々なのですが、ゲームばかりして引きこもっていると、ちょうど1年前を思い出します。

 

2019年1月、わたしは会社に行けなくなりました。7月に復職するまでの半年間、ただただのんびり、でも精神的にはつらい状態で過ごしていました。

そのつらい時期を、できる限りの思い出さないように過ごしてきましたが、時間がだいぶ過ぎたこと、テレワークで心に余裕ができたことで、当時を振り返れるようになりました。

 

過去の自分のブログは、生々しくて、正直まだ読めませんが、、

 

でも気づいたことがあります。

当時は、「哀楽」しか、感情がなかったということ。

ゲームをしたり、友人といるときは現実を忘れられるから「楽しい」。でも、ひとりになった途端、「哀しみ」だけになる。

 

復職直前の、だいぶ回復してきた頃の目標は、「パワハラ上司の悪口を言えること、そしてその人に怯えずに生活できるくらいに元気になること」でした。

復職する頃でも、まだどちらもできていなかったのですが、今は達成できています。

「昇進できなくてざまあみろ。笑」と言えるくらいには。笑

 

「喜」と「怒」という感情は、精神状態を把握しやすいものだと思います。

心が死んでいるときは、人のせいにする気力なんてなく、ただただ自分を責めていました。そして泣く日々。

人から優しくてもらっても、嬉しい、ではなく、「申し訳ない」でした。

まあ、「楽しい」という感情があっただけ、まだわたしはどん底ではなかったのかもしれませんが。

 

実は最近結婚したのですが、ちょこちょこ夫と喧嘩します。

最近、なんかイライラしてばっかりな気がするなと思ったのですが、でも、1年前のわたしをすぐそばで見てきた夫は、「怒ってるくらいがちょうどいい」と言ってくれるのです。

それほど、1年前のわたしが痛々しかったのだろうと思います。

 

怒りをコントロールできないのは、それはそれで問題はありますが、でも「ある程度、人のせいにする」ことが、精神衛生上、如何に大切か。ということを、身をもって経験できました。

そしてもちろん、周りの人からの好意に喜べるということも、幸せだということも。

 

文句を言いたくなることはあっても、こんなわたしを肯定してくれる夫に感謝して、共に生きていきたいと思いました。