精神疾患を乗り越えた一級建築士の雑記

資格やボードゲームについても語るよ

わたしが会社を休むまでの流れ

自分の覚え書きとして記録しますが、どなたかの参考になれば嬉しいです。

わたしが休んだのは、上司(課長クラス)からのパワハラに耐えられなくなったことが理由です。半年ほど前から当たりが強くなり、日に日に上司に対して恐怖感を覚えるようになりました。そしてある日、心がポキッと折れました。詳しいことは以下をお読みいただければと思います。

大前提として、周りの先輩たちの理解があったことと、会社の対応が早かったことが幸いして、すぐ休むことができました。そのため、全ての人に当てはまることではないかと思いますので、ご了承ください。

 

1日目

この日は、上司とは、朝のあいさつ以外の会話をしていない。にも関わらず15時頃、急に思考が停止して、何も考えられなくなった。涙を我慢することができず、隣の部署の同期に助けを求めた。

少し離れた場所の会議室で、同期に泣きながらつらいことを伝えた。(この同期には、前日に愚痴を伝えていた)

翌日会社に来れる気がしなかったこともあり、同じ課の先輩(副課長クラス)に全てを話すことにした。この先輩は、以前から状況を知っており、明らかに上司の対応がパワハラであると言ってくれていた。そして、できる限りわたしと上司が接しなくて済むように、間に入ってくれていた。

そして、「特に何もされていないけれど限界がきた」ことを伝えると、すぐに理解してくれて、「ここまで思い詰めているとは思っていなかった、ごめん」と言ってくれた。

そして先輩は、「明日はとりあえず休みな、部長には俺から伝えておくから。」と言ってくれて、翌日は休むことにした。

この日は実家へ帰り、状況を伝えたら、「お母さんも、会社で合わない人がいて、ストレスでやめようとしたことあるから、わかるよ。でももう少し早く相談してほしかったな」と言ってくれた。身内に理解してもらえることが、こんなに嬉しいとは思わなかった。

 

2日目

朝、先輩から部長へ伝えてくれた。部長は今までの状況を知らなかったこともあり、「直接顔を見て話を聞きたいから明日会社に来てくれ」と言われた。

正直、会社に行って上司に会うことが本当に怖かったが、ここで部長に理解してもらえれば、しばらく休むことができるかもしれないと思い、了承した。結果的に、その上司が翌日会社にいないように、手配をしてくれていた。

大学時代の友人で、病気でしばらく会社を休んでいた人に、相談のために、簡単に状況を報告した。すると、「今から心療内科に行って、診断書もらってきな。医師の診断書には会社は勝てないから。」と。

そこで急遽、予約なしでも受診できる心療内科へ言った。優しい女医さんで、一通り話をすると、こちらから何も言わずとも、「診断書を書きましょうか。そしてとりあえず1ヶ月休んでみてください」と言ってくれた。わたしはまだ食欲もあり、プライベートを楽しむことはできたことから、適応障害と診断された。これが悪化すると、うつ病になるとのことだ。適応障害はストレス原因から離れればだんだんと改善するらしい。診断書と、不安なときに飲む薬を処方してもらい、帰った。

念のため部長に、心療内科へ行き適応障害の診断書をもらったことと、1ヶ月会社を休みたいことをメールで伝えておいた。

 

3日目

不安抑止の薬を飲み、午前中、会社へ向かった。薬の副作用のせいか、若干めまいがしたが、涙はあまり出なくなった。会社の入り口まで、わざわざ先輩が迎えにきてくれた。「上司は今日いないから大丈夫だよ」と言ってくれて、それだけでかなり心が軽くなった。

部長は優しい表情で迎えてくれて、わたしの話を静かに聞いてくれた。前日にメールをしておいたこともあり、すぐに、「しばらく休んで、他の部署にトレーニングとして行くことにしよう」という方向で話を進めてくれた。どこの部署に行きたいかも聞いてくれて、「○○(わたしの名字)には期待しているから、やめてしまうことが一番困る。旅行でもして気晴らししてきな。」とまで言ってくれた。部長の期待に応えたいと感じた。

その日の午後、部長の口から職場の長(所長)と人事や事務を取り仕切っている部長(事務長)へ伝えてくれた。

 

4日目

事務長から、顔を見て話をしたいため、会社に来てほしいとの連絡が来た。翌週、話をすることとなった。

 

8日目(営業日換算6日目)

この日も薬を飲んで、会社へ向かった。この日は会社に入り口まで、同期が迎えにきてくれた。みんな、本当に嬉しい。

事務長は、特に深く話は聞かずに、「部長は戻ってきてほしいって言っているかもしれないけど、そんなにプレッシャーに感じなくていいよ。このまま違う部署でずっと働くという選択肢もあるんだから。とりあえずゆっくり休みな。」と言い、欠勤の手続きを済ませてくれた。

これで正式に、1ヶ月休むことが決まった。

 

10日目(営業日換算8日目)

先輩以外の同じ課の人達には何も伝えないまま、わたしはずっと休んでいた。わたしが急に欠けたせいで迷惑をかけているから、わたしの口から説明したいと思い、みなさんと飲みに言った。

みなさんはなんとなく状況を理解しており、わたしが泣きながら話をしていたら、「そんなつらいこと、わざわざ思い出して話をしなくていいよ。直接話したいって思ってくれただけで十分。詳しい話は状況を知ってる人から聞けばいいから、今日は楽しく飲もう。」と言ってくれた。本当に優しい人達だと、涙がでた。

 

今思うこと

今思えば、本当に対応が早かったと思う。それは、心療内科の診断書を、2日目の段階でもらったからだと思う。もしこれがなかったら、ずる休みだと思う人もいただろう。

また、会社の人たちの対応で何より良かったことが、関わってくれた全員が、「この話をだれにしていいか」、をまず私に聞いてくれたことだ。手続き上話をしなきゃいけない人であっても、「○○さんに話してもいい?」と都度、確認してくれたことが安心した。

 

期限の1ヶ月まで、あと2週間。それまでに、この後どうするかを決めていかなければならない。心療内科の先生は、12日目頃のわたしの状況を見て、「部署が変われるなら、1ヶ月で復帰できそうだね。」と判断した。実際、いつ会社に復帰できるかは、異動先の部署の状況によるため、まだ何も決まっていない。

先は全く見えないが、上司の元から離れられることが、何よりも救われた。

 

部長が言ってくれたように、のびのび旅行をし、帰りの飛行機でこれを書いている。飛行機が進むにつれて現実が近づいているように感じて怖いが、3週間前の自分と比べると、圧倒的に前向きだ。

欠勤や休職の間も給料は出るようだが、早めに復帰したいと思っている。

直属の上司の運こそ無かったが、良い会社に就職したな、と思った。

 

 

kurariha.hatenablog.com